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[ 2009年6月21日 21:38 ( 信長殿 ) ]
信長は美濃攻略の足場とするため、佐久間、柴田といった歴戦の武将に墨俣に築城を命じたが、彼らはことごとく失敗してしまう。そして「秀吉」が、それを一夜で築城すると言い出した時、彼らは批判の言葉を浴びせかける。
しかし、秀吉は野武士、大工等を使い、彼らが失敗した築城をやり遂げてしまう。
信長はその功を賞し、秀吉を城主とした。俗に「墨俣の一夜城」という秀吉出世の第一歩となった功績である。
何か事が起こった後であれこれ言ったり、結果を知った後で他人の行動を批判するより、一つの仕事をやり遂げた事への称賛を贈る事が、結果的には有意義である事を信長は家臣達に伝えたかったのであろうか。
秀吉はその後、信長の為に(結果としては自己のためかもしれない)、至る所で成果を上げることで出世していった事は有名な話である。
「人から評価されたいならば、周りの人に自分が頼りになる人間だということを実証する事」である。信長は戦場で功績を挙げた人間には、身分にかかわらず、報酬を与えたという。報酬とはそれを受けるに相応しい事を、行動で証明した人間にもたらされるものであるという事を実践したのであろう。
現在、人を評価する人、される人にとって頭の中に入れておくべき事だと考える。
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[ 2009年6月14日 11:42 ( 信長殿 ) ]
尾張を統一し、東の今川勢を破り、家康と同盟した信長はその後、ついに美濃攻略を始める。
しかし、何度も美濃を攻略するが、その都度撃破されながらも、ひたすら攻略を続けた。
まるで、敗北は、自分がそれを敗北と認めない限り、存在しないものでもあるかの如く。
美濃攻略足掛け7年、ようやく稲葉山城攻略に成功、ここを信長は「岐阜」と改名し、新しい居城とする。
そしてこのときから「天下布武」を用い、第一段階の目標を達成する。
この事から、敗北とは自らが諦めてしまわない限り、一時的なものにすぎないと考えさせられる。
それどころか、一時的な敗北を繰り返す度に、より強い目標達成意識を持たせてくれるともいえる。
信長の美濃攻略から、敗北(言い換えると失敗)するたびに、最終的な目標達成のための何かを学ぶ事が出来ると強く感じてしまうのは私だけろうか?
「失敗は目標達成の為の単なる経験に過ぎないものである」 とする事で、自分の中での失敗の経験が減り、成功の経験が増えるという考え方でいたほうが精神的にも良いと考える。
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[ 2009年6月 6日 21:39 ( 信長殿 ) ]
信長の戦歴であまりにも有名な桶狭間から考えてみる。
情報戦での勝利であることが多くかたら荒れているが、果たしてそれだけで、1/10とも、1/5とも云われている戦力で勝利した?別の要因があったのではなかろうか?
こういった事を聞いたことがある。
いざという時になると信じられないほどの力を発揮して、できるなどと夢にも思わなかったような事でも、成し遂げてしまったといった事。(火事場の・・・)
目標に対して、一生懸命に取り組み、短時間でいつもより多くのことを達成できた事がなかっただろうか?誰でもそういった事があったはずである。
たとえば、休暇が迫り「休みの前に、すべてを終わらせてしまおう」という気持ちが、そうさせたのかもしれない、あるいは、「絶対に勝たねばならない試合だ」から集中力を発揮できたのかもしれない。
信長にとっても、後の無い、負ける訳にはいかない、そのような状況下にあったからこそ、細部にいたるまでの集中力、強い忍耐力を発揮し、必ず勝利すると信じる事で、桶狭間での勝利を手に入れたのではなかっただろうかと勝手に推測してみた。
実は、どんな事にも日頃から、自分自身が出来ると信じ続けることこそが、目標を達成するために最も必要なことなのかもしれないと。。。。
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