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[ 2009年4月11日 22:38 ( 信長殿 ) ]
信長、斉藤道三の「正徳寺」の会見は見事である。
その時の、信長の服装は奇抜で、虎と豹の革の半袴、帯は縄帯、着物は浴衣染め帷子を片肌抜き、見ていた人々は度肝をぬかれたという。
しかし、会見の場では、一変して正装で現れたものだから、二度驚かされる。
さらに、この時代に鉄砲100挺、三間の朱塗りの長槍500本を従えていたことから、道三は手も足も出なかったという。
後に、道三は、「山城が子供、たわけが門外に馬を繋ぐべき事、案の内にて候」(うちの子達はみんなあの男の子分になるだろう) と、語ったと云われている。
この会見で、戦に長けていた道三は、世間の評判と、現実の違いを目の当たりにし、信長の真の強さを見たのかもしれない。
人間は、「良い評判を得たいと考える事が普通かもしれません」が、そんなことを考えるのは止めて、自己を向上させることを意識的に行い続ける事が大切であろう。
正しい評価を得る一番確実な方法は、たとえ、それが万人に何と言われようと、正しいことであれば、意識的に行い続けることで、自ずと正しい評価を得る事が可能であると考える。
やはり、信長は単なる「カブキ者、うつけ者」ではなかったと私は思う。
鉄砲1挺でも入手する事が困難な時代、彼の人脈?・・・には驚かされる。












